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介護に限って親戚は他人

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 高齢化社会が進む中、女性の社会進出が目覚ましく、「おひとりさま」という言葉までが蔓延する世の中で、30代~40代の独身女性が、スーツを身にまといカッコ良く仕事をこなしていく姿は、若い女性には憧れるものでしょう。しかし、このカッコ良い「おひとりさま」も当然年を取り、会社の定年を迎えるのです。その後「おひとりさま」はどうするのでしょうか。友人たちは息子夫婦や娘夫婦と楽しくお正月を迎え、孫を抱き、それなりの幸せを築いているのです。そこで急に羨ましくなったり、孤独を感じたりするのではないでしょうか。それでも「おひとりさま」は元気なうちは、兄弟や親戚と仲良く過ごし、その子供たちや孫たちに「叔母さん!叔母さん!」と呼ばれ家族ごっこをすることもできるでしょう。  でも、病気になったら、どうなるのでしょうか。病院に入れるうちは完全介護でお金さえあれば大丈夫でしょう。友人や親戚もお見舞いに訪れるでしょう。では、退院して療養生活となったら・・・・・文字通り独り暮らしの「おひとりさま」の面倒は誰が見るのでしょう。親も子供もいない「おひとりさま」。専業主婦をバカにし、子育てに必死で自分のない友人を軽蔑してきたカッコヨカッタ自分を、その時彼女はどう思うのでしょう。昔好き勝手してきたつけが回って来たと思うのでしょうか。  こんな時、昔なら、親戚やご近所さんが街ぐるみで面倒を見てくれたそうです。でも、それも、昔からのお付き合いの積み重ねがあってのことです。「おひとりさま」は、そんなものを煩わしいと見下してきたのです。  これからますます増えていく時代の先端をいく「おひとりさま」達よ。老後の寂しい自分の姿を覚悟して想像すべきです。核家族化の進んだ現在社会においては、単体家族以上の面倒は経済的にも精神的にもオーバーワークなのです。  大家族を切り盛りしていく事はある程度の慣れが必要です。昔は皆大家族だから、一人や二人増えても同じ感覚だったのかもしれません。  昔の良き時代を年老いて孤独になったからと言って懐かしむのはお門違いです。こと「介護問題」につきましては、親戚は他人と同じです。  「おひとりさま」を貫くならば、親戚を当てにせず、死ぬまで「おひとりさま」で行く覚悟を持って、準備に抜かりなく、お金を溜めて、定年を迎えたら、今迄「おひとりさま」で頑張って来たご褒美の退職金をはたいて病気や介護が必要となったら介護付き療養老人ホームにもなる素敵な老人ホームにサッサと入居してしまいましょう。高級な所は、元気なうちは看護師の資格を持ったスタッフのいるというおまけつきの管理人在中の普通の高級マンションと変わりません。おまけに具合の悪い時はヘルパーさんが何でもしてくれます。  親戚を当てにせず、十分吟味して、お金で介護もアウトソーシングして、素敵な「おひとりさま」生活を死ぬまで貫きましょう。カッコいいですよ。

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介護生活の昔と今

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 核家族化の進んだ現在と違って、昔は家に必ず年寄りがいました。3世代、4世代同居は当たり前だったと聞きます。そんな大家族の中では、赤ちゃんもいれば、寝たきりのひぃおばあちゃんもいる、ひ孫もいるかもしれないし、まだ結婚していない若い叔父さんや叔母さんもいるかもしれません。家族の中に一つの社会がある、そんな生活が当たり前の時代がありました。  ですから、当たり前のように家族の「介護」を子供たちが見てきました。嫁姑戦争も、お年寄りを大切に、世の中順繰りだという事も、常識として身についていました。皆で協力して何でも乗り切っていましたね。叔父さんの結婚が破談になったり、叔母さんが結婚詐欺に合ったり、なんて事件があることも。お母さんに言えない恋愛話を叔母さんに相談したり、と色々です。  皆でやる生活の中の介護は交代でするから、辛さも分け合って、喜びの方が多くなっていたような気がします。肉体的にはきつかったけど、おじいちゃんの嬉しそうな顔を見ると自分も嬉しくなる、あれをしてあげよう、これをしてあげよう、と色々おじいちゃんが喜びそうな事に思いを巡らしたり、話し合ったり、共同作業が当たり前で、思い出すと楽しい事ばかりですが、当時は喧嘩もしたし、「プライバシーが欲しい!」と真剣に思っていました。独り暮らしにもあこがれました。  しかし、今の自宅での介護生活はどうでしょう。核家族だから、独りで何もかも抱え込まなくてはいけません。ショートステイやデイサービスを上手に利用して息抜きをして、施設やプロの介護士さんに協力してもらって、「介護の負担の軽減を」と言われています。今の社会構造ではそうしなければ、介護する側の日常生活が壊れてしまうのですから、仕方ありません。でも、私は、幼いころ「介護の負担」なんて考えもしなかったように思います。  まず、介護保険なんかも無かったし、感覚的に「介護」ではなく、家族の中に病人がいるから「看病」してあげる、年を取ったら世話をかけるのが当たり前と、順繰り精神を教え込まれてきました。「介護の負担」というと義務みたいな気がします。少なくとも昔は進んで「看病」をしてあげていました。道徳的には義務なのかもしれませんが、少なくとも「負担」ではなかったように思います。皆で協力するのだから、「負担」までいかないのかもしれませんが。  昔を懐かしんでばかりいても仕方がありませんので、現実問題の対策を考えましょう。  日常生活は余暇が必要です。特に精神的な休息が。自宅での「介護」が日常生活になってしまっている家族の中の誰か、お母さんの場合が多いのでしょうが、独りで背負い込むのではなく、家族に手伝う時間が無いのでしたら、外部の福祉施設の力や行政の力を当然の権利のように使うべきです。自分の生活を犠牲にばかりしていたら、介護は続きません。まず、自分が肉体的にも精神的にも健康でなければ、良い介護をしてあげられないのですから、割り切って自分の幸せも考えましょう。こちらが笑えば、介護されてる側も笑えるのだという事も忘れずに。

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